歴史

VII. 真珠湾の奇跡

桜を植える

いまでも人は平和、平和というが、日本ほど平和な国はない。たとえば江戸時代の二百六十年間は、かつてない平和な時代であった。では同時代のヨーロッパはどうだったかといえば、市民革命や宗教戦争やナポレオン戦争や、ほかにも様々な戦争があり、血で血を洗う闘争のオンパレードである。 しかもそれはヨーロッパの中だけ...
歴史社会
VII. 真珠湾の奇跡

真珠湾の奇跡

1 真珠湾攻撃の直前、不思議な事態が起きていた。太平洋に散らばっていたアメリカ海軍の艦隊がハワイに結集し、多くの艦船が真珠湾に停泊していたのである。そこに日本軍の機動部隊が全力攻撃を仕掛け、米海軍の太平洋における実行力は、ほぼ完全に消滅した。実に不幸な事態であった。 なぜ、そのようなことが起きたのか...
歴史軍事
V. キリスト教は外道か

世界の江戸化

1 東京都知事は、感染症対策のために密を避けるべきだと言っている。だが、東京という都市そのものが三密である。東京がなくなれば、それが最大の感染症対策になるだろう。 我々は、都市の人口を減らすべきである。都市の人口密度を減らし、地方の人口を増やすことによって、大都市で災害が起きても、社会の機能を維持で...
政治歴史
III. 忠と孝

二元論の歴史

1 ヨーロッパ人は世界を二つに分ける。文明と野蛮である。そして、文明人には野蛮人を支配する権利がある、と考えた。それが植民地の起源である。 ここに、二元論という問題がある。善と悪、善神と悪神、天使と悪魔、天国と地獄、文明と野蛮、資本家と労働者、白人と有色人種などなど。ヨーロッパ的な世界は二元論に彩ら...
仏教宗教歴史
III. 忠と孝

太平洋戦争概説

1 戦争の定義 私は、日本は太平洋戦争に勝利したと主張する。これは常識に反する主張なので、いぶかしく思う人もいるだろう。その真意がどこにあるのか、少し説明したいと思う。 クラウセヴィッツによれば、戦争は、政治的な目的を達成するための手段である。したがって、ある国が戦争に勝利したかどうか、ということは...
大東亜戦争歴史
III. 忠と孝

二つの天皇家

1 私は、聖徳太子に関する日本書紀の記述に疑問を持っている。 日本書紀においては、推古天皇が隋の煬帝に国書を送ったことになっている。しかし、中国側の記録では、その時の日本の大王には妻がいたとされている。つまり、大王は男だったはずである。 おそらく、聖徳太子は実際には大王だった。そう考えなければ、彼の...
中国仏教歴史
III. 忠と孝

支那と中国

支那という言葉は仏典に出てくる。震旦や支那が、中国を指す言葉として使われている。つまり、インド人は、中国をシナと呼んでいたわけである。これが大航海時代にヨーロッパに伝わり、英語でチャイナ、イタリア語でチーナと呼ばれるようになった。その後、江戸時代の日本に入国しようとしたイタリア人宣教師が、幕府に捕ま...
中国歴史
III. 忠と孝

忠と孝

1 中国人にとって最も大切な徳目は、孝である。孝とは親孝行のことであり、親に仕える、親を大切にするということである。 ところが日本では、孝は二番目にくる。日本人にとって一番の徳は、忠である。忠とは忠誠であり、主に仕えるということであり、主従関係のことである。これは日本独特の文化であって、そもそも中国...
中国歴史環境問題
II. 作戦計画試案

壬申の乱

岡田英弘によれば、日本書紀は壬申の乱を下敷きにしている。 天智天皇が病に臥せたとき、大海人皇子は、大友皇子を後継者として推薦し、自らは吉野に隠棲した。しかし、天智天皇が死去すると、大海人皇子は単身吉野を出立し、兵を挙げた。吉野を出たときには皇子と護衛のみで、全く兵を引き連れていなかったにもかかわらず...
歴史
II. 作戦計画試案

東南アジア

1 私はあまり東南アジアには詳しくないのだが、知っている範囲で私の意見を述べたい。 まず、東南アジアは政治的に不安定な地域である。様々な民族や宗教が入り混じり、文化的にも混沌としている。 その中でも重要なのは、東西の対立であろう。インドシナ半島という名前からも分かるように、この地域はインドと中国の間...
大東亜戦争歴史社会