現代社会の問題点は、個人の権利よりも企業の活動の方が優先されていることだと思う。これが端的に現れているのが、警察の活動である。
たとえば、企業と個人の間にトラブルが生じた場合、警察は企業の味方をせざるをえない。なぜならば、たいていの企業は弁護士と契約しており、法的な観点から警察の活動をけん制することができるからである。一方で、いち個人が弁護士と契約していることはまれであるため、企業と個人の間にトラブルが生じた場合、警察は個人の活動を抑制するように行動せざるをえない。ここでは、警察は企業の警備員にすぎなくなっている。
なぜこういうことが起きるかというと、警察権と司法権が分離しているからである。現状では、最終的に罪を確定するのは司法であり、警察はその決定に逆らうことができない。そのために、裁判を左右する弁護士の存在が、警察よりも大きな意味を持つようになっている。そして、弁護士を雇うためにはある程度の金銭的な余裕が必要であり、その点で、個人は企業よりも不利な立場に置かれている。
弁護士は依頼人の利益のために働くが、警察は公共の利益のために働く。ゆえに、もしも万人にとって平等な社会を実現したいならば、弁護士の力よりも警察の力を大きくしなければならない。そのために、警察と司法を融合するべきだ、と私は提案する。もしも警察が司法を兼ねるならば、彼らは気がねなく企業を取り締まることができるだろう。
かつて江戸の町には二つの奉行所が置かれていた。町奉行は司法と警察を兼ねる存在であり、彼らの判断によって江戸の町は治められていた。私は現代にも奉行所が必要だと思う。
別の論考でも指摘したが、三権分立は必ずしも理想的な政治制度ではない。それはむしろ責任の所在をあいまいにし、政治による不正行為の解明を難しくするものである。