熟語と近代化

日本語には熟語という漢字の使い方がある。漢字を二つ並べて、一つの意味を表現する方法である。日本語には非常に多くの熟語表現があるが、その多くが近代化の過程で作られたものと思われる。

たとえば、社会、人民、国家という言葉は、それぞれsociety, people, stateの翻訳である。これらは漢文の中にも使用例があるが、現代語の意味とは基本的に異なる。

また中国には本来、熟語という漢字の使い方は存在しない。原則として、漢字は一文字で一つの意味を表現するのであり、二つ並べることで新しい意味を持たせるという使い方はほとんどない。

たとえば、加害・被害という言葉がある。「被害」の「被」は受け身の助詞であり、「・・・される」という意味を表す。「害」には人を害するという意味があるので、「被害」で人に害される、傷つけられる、という意味になる。漢字には品詞の区別がないので、一つの文字が動詞にもなり名詞にもなる。「害」は動詞として働くこともできるが、それを名詞化したのが「被害」だと考えられる。

一方で、「加害」は奇妙な言葉である。「害」一文字だけで人を害するという意味があるので、わざわざ「加」という文字を足す必要はない。非常にぎこちない漢字の使い方で、これは日本語の特徴である。「被害」という受動態の表現に対して、能動態の表現も二字の熟語でそろえたかったので、「害」に「加」を足して「加害」という言葉を作ったのだろう。したがって、ここでの「加」には意味がなく、調子をそろえるために足されたものだと考えられる。おそらく明治時代、ヨーロッパの文献を翻訳する際に考案された単語であろう。

こういうふうに、日本人には漢字を組み合わせて熟語を生み出す能力があったので、ヨーロッパの未知の概念に対しても、次々に新しい単語を作り出して、当てはめてゆくことができた。それによって、ヨーロッパの文献の翻訳が速やかに進み、短い時間で近代化を成し遂げることができたのである。

一方で、中国人は熟語という漢字の使い方を知らなかったので、ヨーロッパの概念をうまく翻訳することができず、近代化に時間がかかったと考えられる。中国の近代化が本格的に始まるのは、日本から大量の熟語を輸入した後のことである。

いま中国人が使っている言葉の半分くらいは、日本から輸入したものだという説がある。それくらい、中国は日本文化の強い影響を受けてきたのである。

このことをよく示す例として、国の名前がある。いまの中国人は、自分たちの国を「中国」と呼ぶが、これは熟語である。というのも、「中」だけでは中国という意味にはならないからである。「中」と「国」という二つの漢字を並べることで、はじめて中国という意味になる。一方で、中国の歴代王朝は漢字一文字で表現される。清、明、元、宋、唐、隋など、全部一文字である。

いまの中国人は、自分たちの国の名前ですら、熟語で表現するようになっている。日本が中国を侵略したというのは、こういうことであろう。中国人は熟語という邪道に馴染むことで、漢字本来の用法を忘れてしまったのかもしれない。

また、国の名前が地域の名前と一致しないということも、中国と日本を対比するときに興味深いことである。日本は天智天皇の昔から「日本」という国号を使い続けているので、日本という国の名前と、日本という土地の名前が、区別できないほど結びついている。

しかし中国では、王朝の名前と地域の名前が一致しない。いま我々は、中国という土地を「中国」と呼び、中華人民共和国という国家も同様に「中国」と呼んでいるが、これは考えてみるとおかしなことである。たとえば「清」は国家の名前であり、中国という土地を「清」と呼ぶことはない。

戦前はその土地を「支那」と呼び、国家を「中国」と呼ぶことで区別をしていたと思うのだが、中華人民共和国が成立してからは、彼らは意図的にその二つの概念を一致させようとしてきた。ここに、日本的な国民国家を志向する中国共産党の方針が見て取れる。共産党が目指すのは、中国の日本化である。

いま中国では、北京語の識字率が九割を超えているという。これは共産党の悲願で、彼らはようやく国語を作ることに成功しつつあると言える。

中国は言語的な多様性が大きい国で、広東語や南京語や福建語など、それぞれの地域に独立した話し言葉が存在していた。これを北京語に統一し、すべての国民に通じる共通語を作るということが、中国が国民国家として生まれ変わるために必要なことであった。少なくとも共産党はそう信じているし、多くの中国人も、これを進歩ととらえているだろう。

その裏で、中国ではいま言語の大量絶滅が起きているはずである。話者の少ない言語は北京語によって淘汰され、次々と地方言語が消滅していると想像される。これは現代版の焚書坑儒である。

始皇帝の行った焚書坑儒には、漢字の字体を統一し、全国共通の書き言葉を作る目的があったと考えられている。そのために、異字体で書かれた書物を全て燃やしたのである。そして共産党は現在、共通の話し言葉を作るために、北京語以外の言語を滅ぼそうとしている。これは、話し言葉における焚書坑儒と言えるだろう。

最後に、中国における話し言葉と書き言葉の関係について、説明をしておきたい。中国では古代より、漢字という書き言葉が用いられてきたが、それは話し言葉とは別の言語であった。というのも、地方によって話し言葉が違うのに、書き言葉は漢字一つしかないのだから、書き言葉がどれか一つの話し言葉と対応しているとは考えられない。つまり漢字は、話し言葉の区別を超えた普遍的な言語だったのである。

近代以前の中国では、識字率は1%にも満たなかったという。これは当然で、自分の母語とは異なった構造を持つ言語を、一から学ぶ必要があったのだから、飛び抜けて聡明な人間にしか漢字を扱うことはできなかった。それが今や中国の識字率は100%に近づいているというのだから、これはやはり進歩と言わざるをえない。

ただ、彼らの使う言葉は、本来の漢字とは異なったものである。北京語は、清朝の役人が使っていた言葉をもとにしているが、彼らは満洲人だったので、そこには満洲語の要素が多く含まれているという。それを書き言葉に作り直したものが現在の中国語なのだから、漢字本来の普遍性は全く失われていると言ってよい。いまの中国人にとって、漢文は外国語と同じである。

タイトルとURLをコピーしました