赤穂浪士の憤慨は、何も主君のためばかりではない。彼らは不正義に怒ったのである。浅野内匠頭と吉良上野介の処分には大きな隔たりがあり、それは喧嘩両成敗の原則に著しく反するものであった。なぜそのような不公平が生じたかというと、処分を下した幕府の役人に公の心が欠けていたからであり、つまり吉良に対する依怙贔屓であった。
少なくとも浪士たちはそう感じていたし、世間もそう捉えた。その不正義を正すために彼らは立ち上がった。ゆえに、吉良邸討ち入りの時点においては、彼らこそが公儀だったと言える。幕府が実現できなかった正義を、彼らが代わりに実現したのである。
ここに示されるのは、いかにして正義を実現するかという問題である。一般には国家権力こそが正義を実現するものだと考えられているが、それが必ずしも正義を実現しえないものであることは、何人も認めざるをえない。では、公権力が正義を実現し損ね、逆に不正義を体現してしまったときに、誰がそれを正せるだろうか。
それは国民がやらねばならないことである。国家が正当性を失ったならば、国民がそれを補わねばならない。それが忠臣蔵である。
では、どうすれば不正義を正すことができるのか。そもそも不正義とは何か。
不正義とは道理を外れることであり、嘘をつくことである。幕府が吉良上野介に処分を下したとき、彼らはそれが公平な裁きであると主張した。実際には不公平なものを公平であると偽り、それを恥ずかしいと思わない人間は、嘘つきと呼ばれねばならない。
そのような嘘つきが相手であれば、言葉で正義を実現することはできない。浅野家の家臣がどれだけ言葉を尽くし、幕臣に申し立てても、彼らがそれを聞き入れるとは考えられなかった。なぜなら幕府は一度、不公平なものを公平であると言ってしまったのだから、それを後から取り消すことなどできない。こうなったら、言葉は無力である。
では、何が必要か。必要なものは暴力である。言葉が通じない状況で道理を通すためには、暴力に訴えるしかない。もちろん、これは最後の手段である。しかし、最後の手段としてこれが許されるかどうかが、その社会が健全な状態を保ちうるかどうかを決める。
我々は人命よりも正義を尊重しなければならない。吉良上野介の命よりも、公儀を明らかにすることの方が重要である。なぜならば、ここがないがしろにされると、社会秩序そのものが成り立たなくなってしまうからである。
赤穂浪士は確かに、幕府に代わって正義を実現した。彼らは本来吉良に下されるべきだった裁きを、自分たちで下してみせたのである。それは彼ら自身のためでもあり、また主君のためでもあったが、何よりも公のためになされた行いであった。だからこそ人々の記憶に永く残った。
江戸時代の平和が長く続いたのは、その内側に暴力を秘めていたからである。平和とは暴力の否定ではない。むしろ、暴力を内包した平和こそが真の平和たりうるのである。