SDGsと経済成長

二兎を追う者

SDGsは持続可能な発展をうたっている。発展とは経済成長のことであろう。経済成長を実現しつつ、社会問題を解決しようとする試みである。それが可能かどうかは分からないが、経済成長を前提としている点には注意しなければならない。

そもそも、なぜ経済成長が必要なのか。彼らは、社会問題を解決するためには経済成長が必要だと言いたいのだろうか。それとも、社会問題と経済成長は無関係だが、両者に気を配る必要があると言いたいのだろうか。彼らは貧困や環境問題の解決を盾に、経済成長に免罪符を与えようとしているのではないか。一種の抱き合わせ商法である。

SDGsの問題点は、中心となる提言がないことである。様々な理想を詰め合わせたお楽しみ袋に近い。たとえば環境問題を解決したいなら、そこに焦点を合わせなければならない。複数の目標を同時に達成することを目指していたら、結局どの目標も達成できずに終わるだろう。

そもそも、SDGsの内容は矛盾している。気候変動の原因が人間の経済活動であることは明らかなのに、気候変動の解消と経済の発展を両立させようとしているからである。彼らは、クリーンエネルギーの開発によってそれが可能になると主張する。たしかにその可能性はあるだろうが、どうも都合がよすぎる。いまはまだ不可能だが、将来新しい技術によって可能になるだろうという話は、詐欺に近い。

これが気候変動の解決のみを目標としているのであれば、まだ納得できる。しかし経済成長との抱き合わせとなると、二兎を追っている印象が強まる。

なぜ経済成長なのか

さて、本題に入ろう。SDGsの支持者もそう思い込んでいるように、経済成長は人類にとって不可欠だという信念がある。この信念は果たしてどこから来るのだろうか。

我々が経済成長を必要とするのは、戦争に勝つためである。より多くの予算があれば、より多くの兵器を買える。逆に予算が少なければ、少しの兵器しか買えない。我々にとっての課題は、隣国よりも多くの兵器を買い込むことである。隣国の経済が成長しているにもかかわらず、自国の経済が停滞しているならば、近い将来、軍事力で隣国に負けることになるだろう。そうならないために、躍起になって経済成長を続けようとする。

諸国間の闘争が人間の自然状態であるならば、経済成長は人類にとって不可欠だと言える。しかし、もしも平和が自然な状態であったならば、経済成長は必要ではなくなるだろう。

たしかに現在の世界は弱肉強食の戦国時代に近い。だからこそ経済成長が必要とされている。であるならば、我々は平和な世界を実現すればよい。そうすれば経済成長をやめられるだろう。それが環境問題解決への一番の近道である。

SDGsに欠けている理念はただ一つ、世界平和である。彼らは戦争が絶え間なく続く現実から目を背け、空想の世界に逃げようとしている。彼らは政治的なメッセージを発信することを恐れている。というより、その力がないのだろう。

力ならば私が用意しよう。理念こそが政治的な力となる。私が提供する理念は仏法である。強力無比な神々の武器である。

タイトルとURLをコピーしました