1 戦争の定義
私は、日本は太平洋戦争に勝利したと主張する。これは常識に反する主張なので、いぶかしく思う人もいるだろう。その真意がどこにあるのか、少し説明したいと思う。
クラウセヴィッツによれば、戦争は、政治的な目的を達成するための手段である。したがって、ある国が戦争に勝利したかどうか、ということは、その目的が達成されたかどうかによって、判断されることになる。戦争を通して政治的な目的を達成できたならば、その国は勝利したと言える。達成できなかったならば、敗北したと言える。
ゆえに、戦争の勝敗について考えるときには、交戦国のそれぞれについて、その政治的な目的が何であったのか、ということを明らかにしなければならない。それが分からないうちは、勝敗を決定することはできない。
2 アメリカ側の目的
2.1 正義の戦争
太平洋戦争に関しては、日本はアジアを侵略するために戦争を始めた、と言われている。仮に、これを事実だとしよう。そうすると、アメリカの戦争目的は何だろうか。
アメリカの目的は、日本による侵略から、自国を守ることだろうか。しかし、アメリカは、日本と外交関係を結んでおり、大使のやりとりもしていた。それなのに、日本がアメリカとの戦争を始めることを、彼らは知らなかったのだろうか。アメリカの目的が自国を守ることなのであれば、外交努力によって、その目的を達成することはできなかったのだろうか。
できなかったはずがないのである。もしも、日本政府の目的がアジアの侵略であるならば、アメリカはそれを認めればよかった。そうすれば、アメリカは攻撃の対象にはならなかったはずである。しかし実際には、アメリカは、日本がアジアにおいて勢力を拡大することを認めなかった。だから戦争になった、と考えられる。
そうすると、アメリカの目的が自国の防衛だった、という仮説は誤りだったことになる。なぜならアメリカは、日本の邪魔をすることで、自国が攻撃される危険性を高めていたのだから。では、アメリカの目的は何だったのか。
それは正義のためだろうか。アメリカ国民の信じる正義を実現するために、彼らは日本の行為を許さなかったのだろうか。そうであるならば、その正義とは何であったのか、ということが次に問題となる。
2.2 自由と征服
資料を確認しよう。1941年12月8日の真珠湾攻撃を受けて、アメリカは日本とドイツに宣戦を布告し、連合国に加盟した。その後1942年1月に発表された連合国の声明(参考)によれば、彼らは、人類の自由と権利を守るために戦う、とされている。これが、連合国の戦争目的であったと考えられる。
ここで注目すべきは、連合国の主要メンバーであるイギリスとアメリカは、どちらも植民地を保有していたということである。にもかかわらず、彼らは、人類の自由のために戦う、と主張していた。ここに矛盾がないと思う者がいるだろうか。我々は、この矛盾をいかに理解すればよいのか。
ここで、彼らは嘘をついていたのだ、と言うことは簡単である。しかし、歴史資料を重んじる立場からすれば、根拠なく資料の信憑性を否定することは避けるべきである。もしも、彼らの言動を矛盾なく説明できるような仮説があれば、それが真実だと考えることができる。
我々が考えるべきは、自由という言葉の意味である。自由という概念は、アングロサクソン民族が最も尊重するものである。だが、その具体的な内容を説明することは容易ではない。自由という言葉には、実際には意味がない。それは説明不可能であり、ただ直感的に理解するしかないものである。つまり、自由という価値観を共有する人々の間でしか、自由という言葉は意味を持たない。一種の呪術的な用語であると言える。
では、自由のために戦う、とはどういう意味だろうか。ここで我々は、欧米人が植民地支配を正当化するために使った、典型的な論理を参照しなければならない。それは次のようなものである。「アジア人は野蛮であり、非文明的である。ゆえに、文明的なヨーロッパ人によって保護され、教育されねばならない。我々の教育を受けることで、彼らは精神の自由を理解し、自立できるようになるだろう」。
彼らの言い分から理解できることは、ヨーロッパ人による植民地支配を通して、アジア人に自由が与えられる、と、彼らが考えていたということである。ゆえに、人類の自由のために戦う、という連合国の宣言は、非ヨーロッパ地域を植民地化する、という意味であったと理解することができる。このように考えるならば、彼らの言葉と行動に矛盾はなかったことになる。
つまり連合国は、日本を植民地とすることで、日本人に真の自由を与えようとしていたのである。これが、連合国の戦争目的であったと結論できる。
2.3 結論
では、連合国はその目的を達成できただろうか。
日本は、サンフランシスコ条約等の国際条約によって、その独立を認められている。ゆえに、日本を植民地にするという連合国の目的は、達成できなかったと言える。つまり、連合国は戦争に負けたのである。
3 日本側の目的
3.1 歴史資料と向き合う
さて、このような結論を得たことによって、我々は、日本の戦争目的についても考え直さざるを得ないだろう。そもそも、日本がアジアを侵略するために戦争を始めた、という主張の根拠はどこにあるのだろうか。
それはおそらく、東京裁判であろう。しかし東京裁判は、敗戦国である日本に、戦勝国の検事たちが集まり、日本の政治指導者たちを尋問する、という形で行われたものである。そのようにして作られた調書に、どれだけの信憑性があるだろうか。そこに、政治的な意図が全く反映されていないと言い切れるだろうか。
私は、東京裁判が不当なものであった、と言いたいわけではない。そうではなく、そこに歴史的な資料としての信憑性がどれだけあるのか、ということを問題にしているのである。戦争が終わった後に、他国の検事たちに尋問されて供述した調書の内容よりも、戦争が始まったとき、あるいは戦争の最中に日本政府が発表した文書や声明のほうが、歴史的な資料としての価値は高い、と私は考える。したがってここでは、東京裁判の調書や判決ではなく、日本政府の発表した文書に基づいて考察を進めることにする。
日本政府の発表においては、我々に侵略の意図はない、ということが一貫して主張されている。たとえば宣戦の詔書では、日本は東亜の平和のため、そして自衛のために戦争を始めた。英米両政府の圧力によって、そのような状況に追い込まれたのだ、とされている(参考)。この資料から判断する限り、日本の戦争目的は自衛である。
3.2 侵略者は誰か
また、この詔書の中に、英米両政府には東亜制覇の非望があった、という指摘がある。これは事実に裏付けられた主張である。それは、1941年3月にアメリカ連邦議会で可決された武器貸与法(レンドリース法)を指していると考えられる。この法律の可決を受けて、アメリカ政府は、中華民国政府に対して武器の輸出を開始した。
しかし当時、日本と中華民国は交戦中であった。ゆえに、中華民国に対する武器の供与は、日本への敵対的な行為であったと言える。それは、東亜の平和を実現するという日本政府の政治目的の達成を、著しく難しくするものであった。
むろん、これに対しても、日本の目的が中国の侵略であったという立場からすれば、その侵略を阻止するためにアメリカは武器の輸出を始めたのだ、という反論がありうる。
しかし、この反論は有効ではない。まず、もしも、アメリカの目的がアジアの侵略であったのだとすれば、彼らの行為は、日中を相争わせることによって、漁夫の利を得ることが目的だったのだと解釈することができる。つまり、彼らは日中戦争が終わった後に、中国と日本双方を手中に収めるつもりだったのである。
また、たとえ日本の目的が中国の侵略だったのだとしても、だからといって、アメリカに戦争を始める権利はない。東京裁判で確認された通り、戦争を始めるという行為そのものが犯罪である。ゆえに、アメリカは罪を犯したことになり、彼らに正義があるとは言えない。しかし、それが正義のためではないとしたら、彼らは何のために中国の味方をしたのか。
日中戦争は日本と中国の戦争であって、アメリカとは関係がない。アメリカはそこに自発的に参加したのだから、アメリカのほうから日本との戦争を始めたことになる。そして、その行為は平和に対する罪に該当するのである。
また、中国への武器の供与は、日本との戦争を意味するものではない、という主張は論外である。たとえば、私があなたを殺そうとしているときに、私に拳銃を与えてくれる人物がいたとして、その人に、あなたを害する意図がなかったと言えるだろうか。しかも、拳銃の代金を支払うのは、私があなたを殺した後でいい、と言うのであれば。
3.2.1 国家の責任
ここにはもう一つ問題があって、それは、責任の分散ということである。戦争犯罪は個人に対して適用されるものであり、国家に対して適用することはできない。したがって、アメリカ政府あるいは議会において、誰が戦争犯罪を犯したのか、ということを特定しなければ、彼らを裁くことはできない。
しかしながら、民主主義と三権の分立という政治形態が、責任の追及そのものを難しくしている。レンドリース法は、合衆国大統領が提案し、議会が可決した。ここで、もしも大統領に戦争の意図があったとして、議会がそれに気づかずに法案を通してしまったのだとしたら、誰に罪があることになるのか。
民主主義と三権分立の組み合わせは、国家による犯罪行為に対する責任追究を逃れるための、最良の方法である。
3.2.2 東亜の平和
また、ここで次のような疑問がありうるだろう。東亜の平和という目的と、日中戦争は矛盾しないのか。たしかに、日本政府の目的は自衛だったのかもしれないが、東亜の平和が目的だったという主張はおかしいのではないか、と。
この疑問に答えることは容易ではない。ただ、中国の平和が、日本の平和にとっては不可欠の条件であり、その達成のために日本政府は最大限の努力をした、と言えるだけである。その結果が武力衝突だったのだとすれば、それは日本の失敗であった。
3.3 結論
以上の議論から、日本の政治目的は、東亜の平和と自衛であったと結論できる。そして現時点において、その目的は達成されていると言える。したがって、太平洋戦争の勝者は日本であり、敗者はアメリカである。
4 戦争終結
(2020/5/17追記)
また、あの戦争の終わり方についても注意しておかねばならない。アメリカが、日本を征服するために戦争を始めたのだとすれば、本土進攻作戦直前に、アメリカ軍の動きが停止したのは不可解である。
アメリカは1945年6月に沖縄の制圧を終え、その後、本土戦の準備を進めていた。にもかかわらず、7月にはポツダム宣言が出され、そのまま戦争は終結している。
アメリカ軍のそれまでの動きから考えるならば、作戦の準備が完了し次第、本土作戦が実行されたはずである。兵士たちは当然そのつもりだっただろうし、決戦に向かおうとするアメリカ軍のエネルギーは、簡単に止められるものではなかった。それがどうして、沖縄に釘付けにされてしまったのか。なぜアメリカ軍は動かなかったのか。
答えは簡単で、総司令官不在のため、動けなくなったのである。太平洋戦争中は、フランクリン・ルーズベルト大統領がアメリカ軍の指揮を執り続けていた。その彼が、1945年4月に死んだ。そのため、戦争を指揮できる人間がいなくなり、アメリカ軍の活動は停止したのである。
その後、副大統領だったトルーマンが次の大統領になったが、彼は戦争の終結を望んだ。おそらくトルーマンには、戦争のやり方が分からなかった。慣れないことをして失敗するくらいなら、いっそ止めたほうがよい、と判断したのだろう。それで戦争が終わったわけである。トルーマンにとっては、それが合理的な判断であった。
戦いの最中に敵が戦意を喪失し、戦争の続行が不可能になったのだから、これは日本の不戦勝である。
また、原爆の投下後にポツダム宣言を受諾した天皇の判断は、見事と言わざるをえない。あれでは、どうしても日本が負けたようにしか見えない。昭和天皇は、トルーマンの心の中を見通していたのではないか。
終戦の詔の中には、日本が負けた、という言葉は出てこない。しかし、文章全体から受ける印象は、日本の敗北以外の何物でもない。つまりあれは、日本国民ではなく、アメリカ軍の兵士に向けたものであろう。彼らの不満を晴らすために、日本の敗北を強調したのである。