近代の女性は、外に出ないで家事をやっていればよい、と言われることがある。これは経済が発達したから可能になったことで、昔は男も女もみな働いていたはずである。
ステレオタイプかもしれないが、女性の仕事といえば養蚕だろう。男は野良仕事で野菜を作り、女は蚕を飼って絹を織る。その絹を市場まで売りに行くのも女である。農作物よりも絹のほうが商品価値が高く、いい値で売れたはずである。だから昔は女のほうが金を持っていた。
女が自分で商売をしていたというと、訝しく思う人もいるかもしれないが、日本の女性は読み書きも計算もできた。平仮名は女性のための文字なのだから、彼女たちがこれを使えたのは当然である。
フロイスによれば、日本の女性は夫に高利で金を貸していたらしい。ここから分かることは二つで、まず、妻と夫の財産は別だったこと。日本でも江戸時代まではそれが普通だったという。それは多分、離婚のときに便利だったからである。いまは裁判所が離婚の調停をしてくれるが、昔はそんなものはないので、はじめから別に管理したほうがよい。
もう一つは、女性のほうが金を持っていたということである。これは考えてみれば今も同じで、金を稼ぐのも使うのも女性のほうが派手である。映画館に行くとレディースデーはよくあるが、メンズデーはあまりない。女性の方が金を持っていて、たくさん使ってくれるから、それだけ優遇されている。
このような男女の立場が逆転するのは、明治時代のことである。憲法が制定され、選挙が実施されたが、女性に選挙権は与えられなかった。それまでは男にも女にも選挙権はなく、男女は平等だったのだが、民主主義によってこの平等が崩されたのである。おそらくこのとき、日本の歴史上はじめて男性が女性よりも優位に立った。
男が家長であり、金を稼ぐのも男である。これはコペルニクス的転回だったと言える。日本の男たちは、棚ぼた式に手に入ったこの権利を決して手放そうとしなかった。もはや家庭に暴君はいない。自分たちの天下である。
そう思った矢先、女性による巻き返し運動が始まった。世界中で女性の権利が叫ばれ、男たちの安寧を破ろうとしていた。時代の流れには逆らえず、日本の男たちも結局はこれに屈した。男の時代は短命に終わったと言える。
これを外から見れば、西洋列強の脅威を防ぐために、女は男たちを盾として使い、自分は家の中でのうのうと過ごしていた。太平洋戦争で死んだ兵士はみな男である。男たちを犠牲に奉げることで、女は自己の安全を図った。そして世の中が平和になると、再び彼女たちの姦しい声が戻ってくる。まったく現金なものである。
男は弱いので、弱者の気持ちがよく分かる。女は強いので、弱者の痛みが分からない。女性の権利を主張するのもよいが、その陰で虐げられている存在にも目を向けてほしい。女性に足りないのは弱者へのいたわりの心である。
日本における女性の歴史を知りたい人は、網野善彦の著作を読まれるとよい。女性についての記述は断片的だが、興味深い話が多い。