III. 忠と孝二つの天皇家 1 私は、聖徳太子に関する日本書紀の記述に疑問を持っている。 日本書紀においては、推古天皇が隋の煬帝に国書を送ったことになっている。しかし、中国側の記録では、その時の日本の大王には妻がいたとされている。つまり、大王は男だったはずである。 おそらく、聖徳太子は実際には大王だった。そう考えなければ、彼の... 2020.06.16III. 忠と孝小論集3中国仏教歴史
I. 反知性主義中論 反復可能性は科学の本質ではない。なぜならば、反復可能な実験など存在しないからである。我々は、ある程度条件の揃った実験を、近似的に同一の条件下で行われたものとみなしているだけである。 科学の本質は因果律である。それは、同一の原因から同一の結果が生じる、という原則であり、その原則を信じているからこそ、実... 2020.06.14I. 反知性主義小論集3仏教科学
I. 反知性主義プロパガンダ 福島産の作物に対する風評被害は、いまも続いている。科学的な調査によって安全性は保障されているにもかかわらず、それはなかなか認知されない。そこで調査の結果をどれだけ丁寧に説明しても、大した効果はない。 私は、次のような方法が有効ではないかと考える。たとえば、映画を作る。テーマは何でもよく、ヒーローアク... 2020.06.14I. 反知性主義小論集3仏教社会
I. 反知性主義教育とは何か 私にとって教育とは、階段から突き落とすことである。 論語に「これを如何せん、これを如何せんと言わざるものは、我これを如何ともすること無きのみ」という言葉がある。自分で問題意識を持たない人間は、教育のしようがない、ということである。だから教育を始めるためには、まず問題意識を持たせる必要がある。そのため... 2020.06.14I. 反知性主義小論集3仏教思想
VII. 芸術と模倣婆子焼庵 婆子焼庵という公案がある。 あるところに一人の老婆がいた。彼女は信仰心が篤く、庵に住む修行者の世話をしていた。世話を続けるうちに、彼女はその修行者が気に入り、自分の娘と娶せようとした。だが仏道の妨げになるということで、修行者はそれを断った。老婆は怒り、庵に火をつけて修行者ごと燃やしてしまった。 とい... 2020.06.08VII. 芸術と模倣小論集2仏教
V. 倭国と隋の外交政策座禅 仏法を学ぼうとするものは、必ず座禅を修めなければならない。瞑想をせずに読書だけ行っても、何の意味もない。 いわゆる仏教学者の人々は、書物を読むだけで仏法に通じたつもりになっている。片腹痛いことである。座禅に打ち込むことなしに、仏法を知ることはできない。仏教学者は須らく座禅を修めねばならない。 もちろ... 2020.05.09V. 倭国と隋の外交政策小論集2仏教
V. 倭国と隋の外交政策法華経 法華経は不思議なお経である。大した内容もなく、たとえ話だけが延々と続く。私が初めて読んだときには、ただ言葉の響きに圧倒されるだけで、何が書いてあるのかよく分からなかった。 しかし、しばらくするとまた読みたくなる。そうして何度も読んでいるうちに、少しずつその教えが心に染み込んでゆくのである。読む人によ... 2020.05.09V. 倭国と隋の外交政策小論集2仏教
V. 倭国と隋の外交政策倭国と隋の外交政策 1 聖徳太子が隋の皇帝に送った国書に関しては、様々な議論があるようである。しかし、この問題は、中国と日本の二国だけの問題ではない。この時期の東アジア全域の国際関係に、目を向ける必要がある。 南北朝から隋の時代にかけて、東南アジアを含むアジア諸国の間で、仏教的な形式をとった外交関係が顕著に見られる... 2020.05.09V. 倭国と隋の外交政策小論集2中国仏教歴史
I. 科学と信用伝統とは何か 1 伝統というものがどこかにある、と考える人がいるようだ。日本の伝統だとか和食の伝統だとか、ありとあらゆるものに伝統を見つけないと、気がすまない人々がいる。 これも一種の二元論である。伝統を求める人々は、自分は伝統の中にいない、と考えている。自分は新しい人間であって、古い人間とは断絶している、と思い... 2020.04.08I. 科学と信用小論集2仏教文化
I. 科学と信用浄土について 1 浄土、浄土と言っても、浄土という言葉に対応する実体がどこかにあるわけではない。すべての言葉は空であって、中身がない。ある言葉に意味があるということは、その言葉に対応する何らかのものが存在するということではなく、その言葉が何らかの働きをなしうるということである。 ソシュールの記号論では、記号の表現... 2020.04.08I. 科学と信用小論集2仏教記号論