フィクションにおける仮想空間の扱いについて

『オーバーロード』感想

アニメ『オーバーロード』が面白かったので、感想を書きたくなった。

この作品の魅力はロールプレイにあると思う。主人公は自分がプレイしていたネットゲームの世界に入り込んでしまい、その世界で生きていくことになるのだが、彼の操作していたキャラクターが骸骨の化け物だったため、化け物として生きることになる。

そうして人間の敵を演じることになった主人公がとても楽しそうなので、見ているこっちも楽しくなる。ゲームとか映画の悪役ってこういうことするよね、というのを自分でやってしまう楽しみである。だから、このアニメはベタに見るのではなく、主人公自身がロールプレイをしていると思って見たほうがよい。

もう一つの魅力は過去にとらわれた主人公である。彼は一緒にゲームをしていた仲間を大切に思っており、昔の楽しかった記憶をいつまでも忘れられないでいる。主人公以外のプレイヤーはみなゲームをやめてしまったが、彼一人はその思い出が忘れられず、ゲームを続けていた。その結果ゲームの世界に迷い込むことになったとも言えるのだが、その郷愁が魅力である。

ある意味で、この作品は『トイ・ストーリー』に似ている。子供時代の楽しかった思い出を大切にする主人公が、意志を持ったおもちゃたちと遊び続ける話である。ゲームの中で作ったNPCが自らの意志を持って動き始め、それが主人公を支え、また悩ませる。もしもおもちゃが意志を持ったら、という妄想に近い楽しさがある。

主人公は過去の亡霊のようなもので、現実を見れなくなっているのだが、それはそれでよいと思う。むしろ彼には亡霊のまま死んでもらいたい。すでにたくさんの人間を殺しているので、私には、彼が人間に倒される終わり方しか想像できない。それが一番きれいな終わり方だと思う。だが主人公が強すぎるので、どうやって彼を倒すかが難しいところである。

もちろん、敵が強いことは悪いことではない。悪役が強ければ強いほど、それを倒したときの爽快感が大きくなるからだ。たとえば『指輪物語』の冥王サウロンや『ホビットの冒険』の悪竜スマウグなどは、人間では太刀打ちできないほどに強大な力をもっている。しかし彼らには弱点があり、それを突くと意外なほどあっさり倒せる。これが面白いのである。

『オーバーロード』の魔導王アインズの場合、ギルドメンバーへの思い入れが弱点になる。たとえば、人間側がワールドアイテムか何かを使って、現実世界のアインズの仲間と連絡を取り、それを利用して彼を罠にはめる、という展開がありうる。あるいは、ギルドメンバーの一人がアインズと同じ世界に転生していたが、それは何十年も前のことであり、本人はすでに死んでいるが、人間たちがその記録を見つけ、それを餌にしてアインズを釣り出すとか。そういう方法を使えば、人間が主人公を倒す展開も可能かもしれない。

ただ、ギルドメンバーと直接会う展開はよくないと思う。そうすると主人公が我に返ってしまうかもしれないので、それはつまらない。夢から覚めずに死んでほしい、と思う。

仮想空間をテーマにした作品群

最近はオンラインゲームを題材にした作品が増えてきた。『ソードアート・オンライン(SAO)』や『ログ・ホライズン』が典型であり、『オーバーロード』もその一つである。もちろん、仮想空間をテーマにした物語は以前からあったし、ネットゲームを題材にしたものも多い。だが、それら過去の作品と、最近流行の作品群には明らかに断絶がある。

こういった作品群の原型となっているのは、『クラインの壺』に示されたような現実と区別がつかないヴァーチャル空間である。この作品は現実とVRの混同を利用したミステリーであり、いま振り返ると古典的なトリックに思える。注意しなければならないのは、この作品では現実とVRの区別が前提となっていることである。VRはあくまでもVRであり、現実とは異なる。そこで、VRの世界と現実世界をいかにリンクさせるかが、この作品の肝となる。

もう一つ例を挙げると、『ナツノクモ』という漫画がある。これはネットゲームをテーマにした作品だが、ネット上のキャラクターと現実世界の個人が同定されるかどうかが焦点となり、物語が進行してゆく。ヴァーチャルの世界と現実世界の接点を探求する作品だと言える。『ルサンチマン』も同様である。ここでもやはり、ヴァーチャルよりも現実の方に重点が置かれ、VRがいかに現実に影響を与えるか、という問題が追求される。

一方で、『SAO』にはそういう問題意識はない。ここではヴァーチャルと現実は完全に一致している。VRにおける死は現実世界における死を意味しており、両者の間にずれが存在しない。ここにおいて、VRと現実の接点を探求する試みは完全に放棄されたと言ってよい。VRも現実の一部として受容されるようになったのである。

この作品は私にとって衝撃だった。まるで架空のゲームの攻略本を読んでいるような感覚で、小説はこんなに単純でいいのかと、一種の啓示を受けたような気分だった。『クライン』や『ルサンチマン』のようなひねりは一切なく、ただただゲームプレイを楽しむだけの作品である。それは確かに楽しかったが、これが成功したことで、似たような作品が量産されることになった。そうして一つのジャンルになってしまうと、途端に魅力が薄れる。仮想空間ものはすでに古典になりつつある。

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