大東亜戦争

亜米利加物語

亜米利加物語 第四回

11 南方作戦における日本の意志ははっきりしており、その目的は資源の確保であった。まず資源地帯であるインドネシアを占領し、次に、インドネシアと日本を結ぶ航路を確保するために、マレー、フィリピンを無力化した。最後に、連合国の侵攻拠点となりうるビルマを占領し、資源地帯の安全を図った。これらはすべて日本の...
大東亜戦争歴史
亜米利加物語

亜米利加物語 第三回

9. フィリピン作戦 アメリカ領フィリピンは、アメリカの極東における軍事拠点となっていたので、蘭印で産出された石油を日本まで安全に運ぶためには、この米軍拠点を潰しておかねばならなかった。かくしてフィリピン作戦が実行されたのである。 攻略の壁となったのは、アメリカ極東空軍の有する爆撃部隊であった。当時...
大東亜戦争歴史
亜米利加物語

亜米利加物語 第二回

7. マレー作戦 さて、戦場に戻ろう。日本軍は真珠湾攻撃と同時に、イギリス領マレー、アメリカ領フィリピン等の攻略を開始した。これらを総称して南方作戦と呼ぶ。 開戦に先立って、日本はフランス領インドシナを占領していた。というのも、当時フランスはドイツに占領されており、ドイツと同盟関係にあった日本は、武...
大東亜戦争歴史
亜米利加物語

亜米利加物語 第一回

祇園精舎の鐘の声諸行無常の響あり沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす 奢れる人は久しからずただ春の夜の夢のごとし猛き者もついには滅びぬひとえに風の前の塵に同じ 1 ここに一人の男がいた。彼は大勢のみすぼらしい男女を引き連れ、一路北に向かっていた。エジプトで迫害を受けていた人々を救うために、その先導...
大東亜戦争歴史
アジア史

アヘン戦争史観

アヘン戦争は1840年に起きたが、その影響は百年以上続いた。林則徐の建策によってアヘンの禁輸を断行した中国政府だったが、イギリス軍の攻撃に慌てて林を解任し、南京条約を結んだ。これによって中国政府はアヘンの売買を公認したこととなり、イギリス人は以後百年の間、中国国内で自由にアヘンの商売を行うようになる...
中国大東亜戦争歴史
大東亜戦争

大東亜戦争史(3)

秀吉の唐入り 文禄・慶長の役の話を聞くと、どうも不思議な感じがする。まず驚くことは日本軍の強さだが、それよりも終わり方が変だと感じる。そして、いったい何のための戦争だったのか、ということが一番の疑問として残る。 秀吉が目指したのはアジアの統一であり、平和の樹立であることに疑いはない。しかしそれが意味...
大東亜戦争歴史
大東亜戦争

大東亜戦争史(2)

西力東漸 満洲の問題はロシアの東進と関わりがある。建国間もないロシアは、ヨーロッパとの貿易のために毛皮を必要としていた。彼らは毛皮を求めて東方開拓を続け、オホーツク海に到達した。そこから南下して満洲に至り、清朝と国境紛争を起こしたが、1689年にネルチンスク条約が結ばれ、両国の国境が画定した。 この...
大東亜戦争歴史満洲
大東亜戦争

大東亜戦争史(1)

序言 もとより私は歴史家ではないので、歴史を体系的に叙述する方法を知らない。しかし、これから日本人が進むべき道を指し示すために、我々がいままで辿ってきた歴史を語りなおさねばならない。 人類の歴史は統合に向かう。古代の都市国家の時代から、人類は何度も社会の分裂を経験したが、その度に統一国家を生み出し、...
大東亜戦争歴史
大東亜戦争

情報の非対称性がもたらす歴史認識の歪み

太平洋戦争について考えるとき、我々は情報の非対称性に注意しなければならない。東京裁判等の一連の究明活動によって、あの戦争をめぐる日本政府の意図や判断は、十分に明らかにされたと言ってよい。もちろん焼却された文書も数多く存在するが、我々が知りうる事柄については、すでに究明され尽くしていると言える。 一方...
大東亜戦争歴史
IV. 東京裁判とアジアの開放

インパール作戦

1.背景 インパール作戦について、少し考えてみたい。大東亜戦争末期に行われたこの作戦は、史上最悪の作戦とも呼ばれ、日本軍が無残な敗北を喫した戦闘として記憶されている。 この作戦の背景を考えてみると、たとえば、大東亜会議にチャンドラ・ボースが参加したことからも分かるように、インドの開放が大きな目標とし...
大東亜戦争歴史