太平洋戦争の起源(ジョン・ロック『統治論』読解)

82年前の今日、日本軍は真珠湾基地を攻撃した。いい機会なので、太平洋戦争をその起源から振り返ってみたい。

自然状態

最近私はロックやルソーなど社会契約説の古典を読んでいる。彼らの思想に共通する特徴として、自然状態を仮定することが挙げられる。

自然状態とは、人間が社会を形成する以前の段階である。ロックの場合は、神によって創造されたままの人間、ルソーの場合は、自然によって作られたままの人間を意味する。

ロックによれば、自然状態はいつでも戦争状態に発展しうる。ある人の財産が他の人によって奪われようとするとき、その人と略奪者の間に戦争状態が成立する。人は自然の権利として自己の生命や財産を守る権利を持っており、これを脅かすものを排除する権利を神から与えられている。この権利を行使するとき、彼は略奪者との間で戦争状態に突入する。戦争状態は基本的に個人と個人の争いであるが、社会が発達すると、国家対国家の戦争という形をとるようになる。

この文脈では、社会契約は財産を守るために必要とされる。各人は自己の財産をより効果的に守るために相互に社会契約を結び、国家を形成する。それによってより大きな軍事力を実現することができ、彼らの財産を確実に保全できるようになる。

ロックの考えでは、独立した国家どうしは常に自然状態にあるので、いつなんどき戦争が発生するかわからない。各国は他国の侵略から自国民の財産を守るために軍備の増強を必要とし、軍備の増強のために富の蓄積が必要とされる。

だが、ここで一つの矛盾が生じる。そもそも、神が人類のために自然を用意したのだとすれば、自然は人類の共有財産である。神は人類を平等に作ったのだから、誰か特定の人間に自然を所有する権利があるとは言えない。だとすれば、なぜ人は所有権を持ちうるのか。いったい所有権とは何か。

たしかに神は人間の役に立てるために自然を創造されたわけだが、自然の事物はそのままでは有用性を持たない。たとえば、野生の鹿は人間によって狩られることで、はじめて食料に変化する。栗を食料に変えるためには、森のなかから栗を拾い集め、湯を沸かしてこれを煮る必要がある。このように、自然のなかから人間の役に立つものを取り出すためには、一定の労働が必要となる。その労働によって所有権が発生するのだ、とロックは考えた。ある人が労働によって自然のなかから有用なものを取り出した場合、その人には、その有用物に対する所有権が発生すると言える。

神は人類の生活に役立つように諸々の動植物や鉱物などの天然資源を創造した。しかし、未開な状態にある人々はこれらの資源を有効に活用する術を知らない。アメリカの原住民は耕作に適した土地を自然のままに放置し、そこからほんのわずかな利益しか引き出していない。もしもヨーロッパ人がアメリカに入植し、これらの土地を開墾するならば、以前の何百倍もの利益を同じ土地から生み出すことができるだろう。そうすることで、人類のために自然を創造された神の意志を、よりよく実現することができるのである。

社会契約と植民地

このような論理によって植民地の獲得は正当化され、ヨーロッパ人の所有権は際限なく拡大してゆくことになる。ピケティによれば、20世紀初頭におけるイギリスの純外国資本は国民資本の2割を占めていた。純外国資本とは、イギリス国民が植民地に保有する資本であり、土地やプランテーション、天然資源などで構成される。

こうした資本所有を正当化したのはロックの思想であった。イギリス人が植民地を開発することにより、人類はより多くの利益を大地から取り出すことができるようになる。同時に彼らの行った労働によって、その土地は彼らのものとなる。これは神の意志に沿う行いであり、したがって正義である。

彼らは新しく獲得した資本を維持するために、さらなる領土の拡張を必要とした。すでに述べた通り、社会契約によって形成された国家の義務は、国民の財産を保全することである。ゆえに、イギリス政府の責務はイギリス国民が外国に保有する資産を保護することにある。その役割を果たすためにイギリスの軍事力を植民地の隅々にまで行き渡らせ、治安を維持する必要がある。また、周辺地域をも軍事的に制圧することで、より確実に国民の財産を保全できるようになる。

このような領土拡張の傾向は新大陸やアフリカにおいてだけでなく、極東アジアにも影響を与えるようになっていた。

イギリス東インド会社が成立したのは1600年のことである。このころイギリスは東南アジアへの進出を試みていたが、オランダとの競争に敗れて撤退し、インドを拠点に貿易を行っていた。同じころフランス商人もインドに拠点を構え、英仏両国はインドを舞台に鎬を削ることになった。その後、オーストリア継承戦争や七年戦争を経て、イギリスはフランスを追い落とし、インドにおける覇権を確立した。1764年、イギリス東インド会社はムガル皇帝からベンガル地方の租税徴収権を獲得し、インドの植民地化は加速した。

このころのイギリスはさかんに諸外国と戦争を行い、フランスやオランダの領土を奪い、自国の領土を拡大させた。他国よりも多くの領域を支配することが自国民の利益を守ることにつながり、ひいては社会契約の本義を果たすことになる。社会契約説こそが富の蓄積を肯定し、植民地の獲得を正当化したのである。

やがてイギリスは新しい紛争の種を抱え込むことになった。アヘンである。神から与えられた自然を活用する手段として、麻薬よりも優れたものはない。なぜならば、麻薬の栽培は他のどんな農業よりも生産性が高いからである。ベンガル産のアヘンは中国人の間で飛ぶように売れ、麻薬による汚染は中国社会は瞬く間に広がっていった。これによりイギリス商人は莫大なあぶく銭を手に入れた。

中国政府がこのような事態を座視しているわけがない。1838年、欽差大臣に任命された林則徐は広東に赴任し、イギリス商人が保有するアヘンを全て没収してしまった。彼は大量のアヘンを石灰によって無毒化し、海に放出した。こうしてイギリス国民の財産が不当にも棄損されることになったのである。

イギリス政府は軍を出動させ、天津沖まで艦隊を進めて首都北京を恐怖に陥れた。イギリスの武力に恐れをなした大清皇帝はやすやすと膝を屈し、イギリスとの間で南京条約を結ぶことになった。これはイギリスの治外法権を認め、中国側が関税自主権を放棄するという不平等条約であった。このときアヘンの貿易も解禁されたのである。

アヘン戦争の影響は深刻なものであった。この戦争によって中国は事実上主権を失い、イギリスの属国という立場に甘んじることになった。現代に置き換えて考えれば、警視庁がイギリス産の覚醒剤を取り締まろうとしたところ、イギリス海軍が東京湾沿岸部を焼き払い、取り締まりを中止させたようなものである。これは明らかに他国の主権を侵害する行為であり、道義上決して許されない犯罪行為である。

イギリス政府は中国政府から主権を奪い取ったわけだが、彼らは決してその責任を果たそうとはしなかった。中国政府はもはや自分の力で国内の政策を実行することすら叶わないが、さりとてイギリス人が中国に対してなにか命令を出すわけでもない。

社会契約説の教義によれば、国家間の関係は自然状態が基本である。イギリスと中国が別の国家である限り、イギリス政府はイギリス国民の利益を守らねばならず、そのために中国人を搾取することが正当化される。なぜならば、自然状態は戦争状態を含むからである。中国政府は中国国民の利益を守るために戦争に勝たねばならないが、一方で、イギリス政府が中国国民の利益に関心を持つ必要はない。彼らはただ搾取するだけでよいのだ。

中国社会の実質的な主権者たるイギリス政府は、中国人の利益に関心を払わず、中国の政治に対して無関心を貫いた。こうして政治権力の不在が常態化し、中国社会の無政府化が進んだ。イギリスは中国を解体したのだ。

一方では主権者の不在による政治の空洞化が進行し、他方ではアヘンの流入による精神汚染が加速する。このような社会的混乱の果てに太平天国の乱が起きた。乱の首謀者とされる洪秀全は頭脳明晰な青年で、院試を何度も受けたがそのたびに落第していた。彼は、明らかに彼よりも出来の悪い受験者が合格したのを見て、賄賂によって合否が決定されていることを知った。だが、貧しい農村出身の洪には賄賂を捻出することができず、官僚になる道は断たれた。やがて彼は社会の不正義に憤りを感じるようになり、世直しを実行したのである。

太平天国の乱によって8000万の中国人が命を落としたとされる。これはホロコーストの犠牲者の10倍以上の数字である。これらの犠牲者に対して、イギリス人は大きな責任を負っている。この罪をイギリス人に犯させたものこそ社会契約説なのである。

日中戦争から太平洋戦争へ

だが、話はこれで終わらない。イギリス・フランスによって中国が解体されるのを目の当たりにして、日本人は大きな危機感を抱き、新国家の樹立に向けて動き始めた。1867年には徳川家が大政を奉還し、江戸の世は終わりを告げた。続いて成立した明治政府は日本の近代化を目指し、富国強兵を推し進めた。

生まれ変わった日本は軍備を増強し、世界に冠たる大海軍を擁するようになった。日本軍はまず清国軍を降し、続いてロシア軍を降し、向かうところ敵なしの精強さを誇った。度重なる戦勝によって自国の地位を高め、アジアにおける一等国の名をほしいままにした明治日本は、いきおい中国情勢にも深く関わるようになっていった。

どうも勘違いしている人が多いのだが、戦前の日本は民主国家であり、社会契約説に基づけられた国家である。その限りにおいて、彼らはイギリス人と同様に絶え間ない領土拡張の欲求にさいなまれていたのである。戦前の日本は、日本人居留民の保護を口実としてたびたび中国への出兵を行ったが、アヘン戦争と比べて、これがそれほど不当なものであったとは思えない。中国侵略の罪を日本一国に帰すのは不可能であり、むしろイギリスやフランスの果たした役割が強調されねばならない。

さて、そんなこんなで日中戦争がはじまる。当時の混沌とした中国情勢の中で、この種の武力衝突は避けられないものだっただろう。このときイギリス人やフランス人は日本軍による武力侵攻を口を極めて非難したが、現金なものである。彼らが日本を非難したのは、決して道義的な理由からではない。日中戦争の本質は、イギリスの勢力圏だった中国を日本軍が奪ったということにあるのだ。

アヘン戦争によって中国人から主権を奪い取って以来、イギリスは中国を植民地として扱った。教科書的には「半植民地」と表現されるが、イギリスの権力が及ぶ地域だったことに変わりはない。その領土が日本軍によって奪われたのだから、イギリス政府は当然この事態に対処しなければならない。彼らはイギリス国民の権益を守るために中国国民党に経済的・軍事的な支援を惜しみなく与え、日本軍を中国から排除することに努めた。

だが悲しいかな、中国軍は弱かった。彼らは一度も日本軍に勝てなかったのである。やがてしびれを切らしたイギリスは中国支援に見切りをつけ、もう一人の味方をこの戦争に引き入れようと考えた。アメリカを使って日本を潰そうとしたのである。中国人を駆使して日本を排除することに失敗したイギリスは、今度はアメリカをそそのかして日本との戦争に参加するよう仕向けた。

アメリカ国民は戦争に反対だったが、大統領は乗り気だった。その理由はよくわからない。イギリス人のように欲に目がくらんだわけではなく、もっと高尚な理由があったようにも思われ、おそらくは、新しい世界秩序の中でアメリカが占める地位を高めようとするねらいがあったと考えられる。世界は変わりつつあった。ヨーロッパ、アジア両地域における大戦の勃発は世界秩序を塗り替えずにはおかない。良くも悪くもハングリー精神にあふれたアメリカ人にはこの機会を見過ごすことはできなかった。彼らはこの戦争において主導的な役割を果たし、新しい世界秩序を自らの手で構築することを望んだのである。

アメリカはイギリスに同調し、日本に対して圧力をかけた。一方、日本はドイツの勝利に乗じて、フランス領インドシナへの陸軍の進駐を断行した。これが対米関係をさらに悪化させ、アメリカはついに日本に対する石油の禁輸を決定することになる。

日本政府の対米最後通牒には次のような一節がある。「合衆国政府は、その固持する主張において、武力による国際関係処理を排撃しつつ、一方英帝国等と共に経済力による圧迫を加えつつあるところ、かかる圧迫は場合によりては武力圧迫以上の非人道的行為にして、国際関係処理の手段として排撃せらるべきものなり」。

石油の禁輸は日本人の国民生活に甚大な影響を及ぼす。当時の日本は食料を輸入に依存していたので、もし石油がなくなり、タンカーを動かせなくなれば、国民は飢えて死ぬことになる。日本はフランスの植民地を制圧しただけで、アメリカ国民の生命や財産に対して直接の危害を加えたわけではない。にもかかわらず、アメリカ政府は日本国民を死に至らしめる決断を行ったのだから、その不当性を訴える日本側の主張には十分な正当性が認められる。

アメリカは調子に乗りすぎた。彼らは真珠湾において、そのつけを払わされることになる。

アメリカの戦略

アメリカは太平洋戦争に臨んで決して無策だったわけではない。彼らにも戦略はあった。だが、その精度は驚くほど低かった。アメリカ政府が適切な戦略を練るにあたって、最も大きな障害となったのは民意である。国民の反戦的な世論に押されてアメリカ政府は身動きが取れなくなっていた。

当時の情勢のもとで、アメリカが戦争に介入しないでいることは不可能だったし、そんなことをすれば、彼らは世界から取り残されてしまうだろう。アメリカの価値を高めるためには戦争に参加する以外の道はなく、そのための手段を政府は模索していた。最も簡単な方法は相手に先制攻撃をさせることであり、こうすれば、政府は苦もなく世論を説得することができる。そのためにアメリカは日本への挑発を繰り返し、最終的に過度の経済的圧迫を加えるようになったのである。

では、日本軍の先制攻撃に対して、アメリカはどのように対処するつもりだったのだろうか。

アメリカ政府が行ったことは、第一にハワイに戦力を結集させることである。ひとたび事が起きればすぐにでも現場に戦力を投入できるように、準備態勢を整えておく。ハワイ基地は太平洋におけるアメリカ軍の最重要拠点であるため、ここに戦力を集めておけば、太平洋のどこで紛争が起きても即座に対処できるはずである。

次に、日本軍の攻撃対象を予測することが必要となる。アメリカ側の想定では、日本軍はまずミッドウェーを奪いに来るはずであった。ミッドウェーを占領した日本軍は、つづいてハワイに進攻し、ここに兵站基地を築く。そして、ハワイからアメリカ西海岸に大兵力を送り込み、アメリカ本土の侵略を開始すると考えられた。

したがって、アメリカ軍はハワイに戦力を待機させておき、ミッドウェーに進攻した日本軍をハワイの戦力で迎え撃てばよい、という戦略ができる。これがアメリカ政府の青写真であった。

すぐに分かるとおり、この戦略の欠点は、ハワイを直接攻撃されたら手も足も出ないことである。日本軍はあやまたずにこの弱点を射抜き、アメリカ海軍太平洋艦隊を潰滅させた。

日本軍は一刀のもとにアメリカを切り捨てると、返す刀でイギリスの首を打ち落とした。イギリス海軍の戦艦レパルス、プリンス・オブ・ウェールズはマレー沖で海の藻屑と消えた。帝国陸軍はマレー半島を縦断してシンガポールを制圧し、その後ビルマに進出するやイギリス軍をインド国境のかなたに追い散らした。英米蘭の植民地は解放され、日本軍の手によって次々に独立政府が樹立された。

世界は変わった。だがそれは、アメリカが望んだ変化ではなかった。連合国は必死になってこの変化を押し戻し、あるべき秩序を取り戻そうとしたが、ひとたび盆からあふれ出した水がもとに戻ることはなかった。これはリベラリズムに突きつけられた「NO」であり、社会契約に突きつけられた「NO」である。戦後開かれた極東国際軍事法廷はリベラリズムの欺瞞を白日にさらすものでしかない。リベラリズムは死んだのだ。いや、ここで死ぬべきだった。

リベラリズムの亡霊

すべては社会契約という悪魔によって引き起こされたことである。個人の所有権を認めることによって、その財産を守る必要が生じる。財産を守るために軍事力が必要となり、より強大な軍事力を持つために、さらなる財産の蓄積が必要とされる。その果てにあるのは破壊的な戦争のみである。

ロックの唱えた自然状態と所有権の教義がすべての悪徳を生み出し、世界を破局へと導いた。我々はいまこそ社会契約という誤った思想を捨て、世界平和へと一歩を踏み出さねばならない。

リベラリストは言う、世界平和など不可能だと。戦地で暮らす人々に対して、どうしてそんなことが言えるのか。お前たちが死ぬのは仕方のないことだ、なぜなら戦争をなくすことはできないのだから。これは人間が言っていい言葉ではない。

リベラリズムの邪悪さは戦争状態を肯定することにある。ロックによれば、人間は自然状態においてあらゆる権利を保持し、戦争を行う権利もそこに含まれる。その自然状態を信じるゆえに、リベラリストは戦争を否定することができない。

我々は平和を実現するために、自然状態という幻想を捨てねばならない。人権という虚構を捨てねばならない。それが人類の課題である。


太平洋戦争、真珠湾事件については以下を参照してください。よろしくお願いします。

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